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筋トレ

  • 2018/02/12(月) 00:22:05

 いつの間にやら、めちゃくちゃに太ってしまっていたので
筋トレをはじめた。

 筋肉が付いたりだとか、やせたりはまだだけど楽しい。
体に負荷をかけると、否が応でも肉体を意識するので
自分がこの時空間に居ることをしっかりと意識できる。

 いや、一番うれしいことは、外に出た時に
強気で意識を広げていけることだろうか笑

 どうしても太って自信がなくなると、
意識を自分の内側に閉じ込めようとしてしまう。
まぁ窮屈であったよ。



 製作の方は、とにかく設計思想の積み上げがメイン。
長い時間がかかっているけど、とても重要な問いを
自分に投げかけていることを感じている。

 飛躍した言動が許されるなら、自分の価値観であるとか
そういったものを本格的に破壊しはじめていると言おうか。

 個人的なものを破壊し尽くしてようやく
普遍的……というと大げさだけど笑
より他人にとって価値のあるものへと広げていける。

 正確に言うと「これには価値がある」と思ったものも
たやすく飲み込むナルシシズムを理解できた、と
言うべきかもしれない。



 どういった人であれ、大事な人は居るだろうし
その人の人生を守るために自分をドブに捨てるのは
何をどう考えても尊く、価値があることだろう。

 ただ、身近な人に貢献したり支えたりしたところで
大体の場合は「偉大なる人」の威光により
自分は成長できた、幸せになれたと語る。

 厄介なのは、その偉大なる人は往々にして
「どこか遠いところ」に居て……
まぁつまるところ、自分の価値観を補強するために
「この人のおかげで自分は立ち上がれた」と言う訳だ。

 こちらの奮闘を全て何事もなかったようにするどころか、
驚くほど「低い存在・未熟な者だ」と軽視した上で。

 悲しいけど、これは恐らく人間が意識を持ち始めた時点で
絶対的に付いて回る習性だろう。
これにどう対抗するか考えなければならない。

 作品の設計思想とは、要するにこういうこと。
誰かを救済するに値する作品を作ったとしても
「この人のおかげで~」と言われてはたまったものではない。

 また、そのための目下の課題としては、
身近な人の尽力をいかに感じとるか、
自分がどれほど他人の上に成り立っているか、
それを認識すること。

 感謝とかではなく、単純に
自分がそもそもどうやって成立してきたのか、
ということを認知したいとでも言おうか。



 しかし、これを打ちこんで思ったけど、
誰かを守ろうとした時に襲ってくるものは……
大体の場合、類型化できるところがある。

 恐らく上のような屈辱は
誰しもが経験したことがあるだろう。
細部は少し変わってくると思うけど……。

 いよいよもって三幕構成であるとか
そういったものへの確信が深まっている次第。

 人生が類型化できるとか
そんなバカげたことが言いたいのではなく、
人間は変化の軌道というか、そういったものに
何か共通するものを無意識下で感じているのではないか。

 だとしたらその根っこにあるものは……
あまり深く考えてもしょうがないけど、
やっぱりこういうことを考えるのは楽しいのだ笑