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いいぞ

  • 2017/12/09(土) 08:29:07

 思うに、既存の物語・メディアの中で
RPGが真似すべきは戯曲・舞台であると感じる。

 しばらく前からしつこくしつこく
映画と舞台の違いについて調べていたけど
だんだんそれがわかってきた……。

 大きく違うのは、やはりシーンを駆動させる力というか、
何をやりとりさせるかであるように思う。

 映画・マンガは当然、
表情による演技・やりとりが基本になるけど
舞台・ゲームは動作というか、動きと言うか、
そういったものの方が強いように思う。



 具体的に言えというと厳しいが……
例えばドラクエ5の冒頭は、パパスが右往左往する場面で
何かを語るわけではない。

 動作が先に立ち、その後のサンチョのセリフで
そこにある気持ちが明らかになる。
もちろん、セリフとしては語られないけど。

 こういった表現の方が、舞台・ゲームの場合は
より奥行きが出てくるように感じる。

 「大丈夫だろうか……どんな子が産まれるか……」
などと、セリフで説明したり、
あるいは表情で演技させようとした時に
どういったものが待ち受けているかは言うまでもないだろう。

 また、パパスが主人公を抱きかかえることにより、
そこで初めて産声をあげて「産まれた」ように見せている。

 抱きかかえる、という動作に対してのリアクションが
非常に深い意味合いを持つのだ……。



 よくドラクエとFFの違いとして
主人公がしゃべるかしゃべらないかとか、
イベントシーンに割く尺の違いが挙げられるけど、
実はもう一つ大きな違いがある。

 何かに対して動作をする時に
ドラクエはコマンドを選ばせるけど、
FFは1からワンボタンで処理できるようにしている。
1だけにね!

 もちろんドラクエも5あたりから
ワンボタンで処理できるようにしているけど、
話す、調べる等のコマンドをまだ残しているのは
上に挙げたように、動作が何かしら
強い影響を与えるように感じているからではないだろうか。

 また、ドラクエの主人公をしゃべらせない理由は
「自分自身の物語の演出」というよりも、
動作へのクローズアップという側面が強いように感じる。

 仮に「キミの物語」を演出しようとするならば、
間違いなくオープンワールド的な……
まぁ、本場のRPGの方が強いし、より適切であるように思う。



 じゃあ舞台とは何が違うかが問題になるけど、
まずは情報量を落とした部分と
増えてくる部分を見ていくべきだと思う。

 情報量が落ちた側面で言うと、
キャラクター・声・動作
ここらへんが「抽象化」あるいは「記号化」される。

 また、視覚的には立ち位置の情報量が増えるし、
そうなると当然キャラクタの配置・移動が
変化する情報のメインになってくる。

 FF6のシーンの組み立て方は非常に映画的
(特に、カット割りの多様)だけど
それが「ゲームのシーン」としても感動するのは
そこら辺を大事にしているからであると思う。

 フィガロ兄弟のコイントスの回想では、
「去っていく」マッシュのシーンを
複数つなぎ合わせることにより
多くのことを表現しているように思う。

 また、ダリルの墓の回想では
セッツァー・プレイヤーが「降りていく」ことにより
何があったかを思い出していく。

 3D化してディテールの情報量を増やしていくと、
どうしても移動・立ち位置の情報量が
相対的に減っていくし、変化の表現は
表情・カメラで何とかしたがる。

 そうなっていくと「なんか違うな」
という体感になっていって……
まぁ、よろしくないことになるのは言うまでもない。



 加えて、あまり指摘されないけど
やっぱりメロディーラインが持つ力は強い。

 これも3D化したり声を付けることにより
メロディーを抑えていく必要があるので、
どうしてもパンチが弱くなっていく。

 SFCの頃は音楽が良かったと言われるけど、
恐らく使用できる音数の関係で、
タテ軸はメロディーメインの構成になるから
……というのもあると思う。

 曲全体というヨコの面から見ても
容量の関係でそこまで長い曲にできないし、
そうなると頭からおいしくする必要があって
それがよく転じたというのもあるだろうけど。



 とにかく、シーンの構成に関しては
なんだかだんだん見えてきた。

 問題はじゃあ、主人公が移動する理由、
舞台を広げる理由……
そして、それを間延びさせない仕組み。

 早い話、主人公の移動・舞台の拡大が
「本質的には何を表現しているのか」を
きちんと把握したいと存じ上げます……。