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戦慄

  • 2016/07/31(日) 19:50:04

 横井軍平氏について色々と本を読んで思うことがある。
(誤解を恐れずに言うと、氏は任天堂の設計思想を
顕現させた存在と言えなくもない。
もちろん顕したものは山内溥氏によって
潜在的に伝えられていたことだろう。)

 ゲームに限らずモノを作る人間が
最も意識しないといけないことは
その分野における原体験なのだと感じる。

 絵で言えば美を感じた原体験、
ゲームで言えば楽しさを感じた原体験。

 いや、その分野という枠を飛び越えて
精神的な原体験をきちんと認識しないといけないと思う。
若干飛躍しすぎているかもしれないけど。

 そういう意味で、自分という存在が
どういう所から出発したのかということは
必ず意識の上に持ってこないといけないことだろう。

 非常に漠然としているし、
自分の中でも曖昧なのでこれ以上何とも言えないけど。



 ゲームというのはシナリオはともかくとして、
キャラクターの動きにしても何にしても
数字でしか表現できない世界であると思う。

 それに有機性を持たせたり、
「こいつは本当はこうなんだろうな」という
妄想を差し挟む余地を生まれさせるためには
どういった精神・価値観を提供しなければならないのか、
という意識が必要不可欠だと思う。

 ゲーム性だとかジャンルという意味ではないし、
面白いモノを作りたいと言えといっている訳ではない。

 料理人が「美味しい料理を作りたい」だとか
「俺は中華で勝負する」と言われても困るのと同じ。
大事なのは美味しい料理を通して何を提供したいか。

 その提供したいものというのは
結局のところ原体験からしか発生し得ないと思う。
無理から出すことはできるが、原動力足り得ない。

 だからこそ自分自身を深く省みる、
ということはとても大事だと言いたい。



 しかし、改めて自分を振り返って
子供の頃に何をして心が満たされたのかとか
全く思い出すことができない。

 物心ついた時にはコントローラーを握っていて、
何故かドンキーコングとサンサーラ・ナーガ2が
妙に印象的だったのは覚えている笑

 ただ、ゲームを作る上で一番大事なのは
上で述べたようにゲームに
「何を落とし込みたいのか」ということだろう。

 そう考えると「ゲームしかやっていない」
「ゲームこそが自分の原体験」というのは
まさに戦慄すべき事態であると思う。

 それは要するにゲームに落とし込めるものは
何もないということの証左であるから。

 もちろんゲーム製作が複雑になった以上、
ゲームとしての勘所はたくさんプレイした人間にしか
ブラッシュアップさせることができない。
そういう意味ではプラスではあるんだけどね。

 まぁ自分って何なのかと思い直している……。